〜柳生新陰流に見る共創の理〜
何やら難しいタイトルだが、この本に出会ったのが極真会館本部道場のある東京・池袋の芳林堂書店・武道書コーナーである。何でこんな本が武道書の棚に入っているのか、しかもお堅い中公新書だ。だが、サブタイトルを見るとその意味が分かる。私はこの“柳生新陰流”という文字に惹かれて買ってしまったのだ。 |
〜オランダ格闘家列伝〜 フレッド・ロイヤース 著 クン・シャルンベルフ 定価1800円+税 オランダといえば一般的には風車、木靴、レンブラント、ゴッホ等々思い浮かんでくるが、私たちにとっては何と言ってもジョン・ブルミンから始まる極真空手に代表される「格闘王国」としての驚異的な強さを思わざるを得ない。
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〜柳生十兵衛・堀部安兵衛〜
山岡荘八 著 吉行淳之介 『日本剣客伝』は全五巻で朝日文庫の一シリーズとして出版されている。『週間朝日』に掲載されたもので、塚原卜伝・上泉伊勢守、宮本武蔵・小野次郎右衛門、柳生十兵衛・堀部安兵衛、針谷夕雲・高柳又四郎、千葉周作・沖田総司という剣客を海音寺潮五郎など10人の著名な作家がその一人一人を描いている。 |
合(がっそう)葬 杉浦日向子 著定価447円+税 筑摩書房 ( 03−5687−2687) 《ハ・ジ・マ・リ 「……このきせるはちょいと面白いね、アノー上野の戦争の時分にゃ随分驚いたね、エエ!?ウン、雁鍋の二階から黒門へ向って大砲を放した時分には、のそのそしてられなかったァな、ウン、買いたくねぇきせるだな。」 『合葬』は上野戦争前後の話です。 「合葬」というタイトルがまずスゴイ。 《日曜日の日本 杉浦日向子 江戸時代というと何か、SFの世界のように異次元じみて感じられます。 私の大好きな、そして大切な篠田鑛造氏の著書の中に「明治維新の新体制は、極めて強圧なものであった。どう強圧であったかは、江戸期の旧文物を片端から破砕 して、すべて新規蒔直しといった時代を建設したからである。」とあります。江戸期の風俗・文化に触れる時、この百二十年間の猛進は何だったのだろうと、ふと 思います。 日曜日の日本に生きた父祖たちに会いたい、縁側でお茶でもすすりながら話をしたいと思っています。 【注】この漫画は1982〜83年に『ガロ』に掲載され、青林堂から発売されていたが、今は筑摩文庫の一冊として販売されている。本稿は青林堂 |
高野佐三郎 剣道遺稿集 堂本昭彦 編・著定価2,796円+税 スキージャーナル( 03−3353−3051) 「怪力」で知られる若木竹丸翁が入滅した。二十世紀最期の年が始まったばかりの正月三日のことだった。 《私は臆病な子供だった 《剣道五行の構え(前略)五行の構えとは、上段、中段、下段、八相、脇構えの五種で、之れを天、地、人、陰、陽、又は木、火、土、金、水の五行に配し、五行の構えと名付けるのであります。 《眼 眼の着け方は大体に於いて敵の顔面に着眼するのであるが、視線を一定させず、恰も遠山を望むが如く、敵の頭から爪先までを一目で見、敵が接近するとも、遠方を見ると同じ見方で見るのである。若し敵が近い時に近く見れば敵の顔、拳等一小範囲の外は見えないのであるが、この見方ですれば敵の全体を一目で見、眼球を動かさないで、敵の両脇までも見得るのである。そして、眼の着けた所に、特に重きを置く個所が二つある。それは一つは剣尖であって、一つは拳である。 彼の精神論は一般論に終始している嫌いがあるが、技術面では空手修行者にとっても大いに学ぶ所がある。 |
板垣恵介の格闘士烈伝 板垣恵介・著定価1,400円+税 徳間書店( 03−3573−0111)
《そしてその生命体は超絶な力に裏打ちされている。
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「武道のススメ」盧山初雄・著定価1,524円+税 気天舎( 03−5976−0621) 《強さと優しさを持って世の中を歩くこと、これが本来の意味での武道だと思う。 |
身体運動文化学会・編定価2,500円+税 昭和堂 ( 075−761−2900)
本が売れなくなったと言われて久しい中、武道・格闘技の分野は意外に健闘しているようだ。しかし、他分野からの進出組を含め、粗製濫造の感がある我が武道出版界。しかも、何やら宗教的な匂いのする「武道書?」がバカ売れしている現状に危惧を感じざるを得ない。 |
『新訂 孫 子』 金谷 治 訳注定価500円+税岩波書店 (03−5210−4000)
『七書』として中国の兵書の代表とされるものに、『孫子』『呉子』『司馬法』『尉繚子』『李衛公問対』『黄石公三略』『六韜』がある。 |
『嘉納治五郎〜私の生涯と柔道〜』 嘉納治五郎 著定価1800円+税日本図書センター(03−3947−9387) 横浜・山下公園に隣接する港に、 二流を合わせ学んだところから、《柔術は一流のみでは全きものではない、二流のみならず、なおその他の流儀にも及ぼし、各その長を採り、武術の目的を達するのみならず、進んで知・徳・体三育に通達することは工夫次第で、柔術はもっともよい仕方であると考えた。かかる貴重なものは、ただ自ら私すべきものではなく、弘くおおいに人に伝え、国民にこの鴻益を分かち与うべきものであると考うるに至った》
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『武田惣角と大東流合気柔術』
万延元年(一八六〇)に二人の偉大な武術家が誕生している。一人は柔道の創始者・嘉納治五郎、もう一人は大東流合気柔術中興の祖・武田惣角である。 |
《文と武について、世間では大きな考えちがいをしている。世間では歌を詠み詩をつくり、文筆が達者で気立てがやさしく優雅なのを文といい、武術、兵法を習い知って、気立ては勇猛でいかついのを武といいならわしている。似たことではあるが、似ていない。元来、文武というのは、一つの徳であって別々のものではない。天地の造物は一つの気であるのに陰陽の別があるように、人の感性は一つの徳で、その中に文武の区別があるのだから、武のない文は真実の文ではない。文を備えていない武も真実の武ではない。(中略) |