木刀剣道具

 

 

 木片が飛ばないようにビニールをかぶせた木刀で、防具のあるところはどこでも<あり>の“木刀剣道”は流行らぬものだろうか。

 間合いは竹刀剣道より半歩ちぢまり、刀での間合いはこんなものだろうと実感できる。なによりも間合いを詰めることに痛みを覚悟する度胸がいるから間合いの計りがより一層、身につくのではないだろうか。

 

 まあ、この“木刀剣道”も、自己と他人の善意の関係が成り立っている“日本列島住人同士”の親類だからできるものだろう。その瞬間、手の内を絞り、骨折までにはいかない、という互いの安心感がある。

 

  さて、本題である。

 “木刀剣道”をしてみて、竹刀とは良くできたものよ、と改めて先人の知恵に感心したのである。木刀での寸止めと違い、撃った瞬間の手の内の感触がわかる。そして単なる竹の棒と云え、美しいではないか。

 

 鞘の漆塗りが剥げないようにと旅の装具であった鞘袋に、竹を細く割ったものを入れたのが竹刀のはじまりであった。

 永禄の頃(1565)である。発明家は上泉伊勢守信綱である。その後の竹刀の変遷はこのように流布されている。

 

 戦場剣法から道場剣法となった成徳年間(1711〜1715)に直心影流の長沼四郎左衛門が木刀にでも耐えられる防具をつくった折、鞘袋を外した竹刀も考案されたと云う。

 

 宝永年間(1751〜1763)になり 一刀流の中西忠蔵が面、小手、胴の防具もつくった。面、胴、小手をうつ競技性が高まっていたのだろう。

 そして文政年間(1818〜829)にいまの防具とほぼ同じものができ上がっていた。誰がとの名が残っていないのはこの時期、各藩で自然発生的に同じものが考案されていったのであろう。

 

 当時の竹刀が現存していたら袋竹刀から成徳、宝永、文政の竹刀と防具の改良の経緯がわかり、おのずと江戸期の道場剣術の技が見えてきたであろう。

 

 その後、剣道防具は200年間、変わっていない。いや、面が<丸見え>のものや、竹でなくカーボン製に“改良”されたが、一般剣道人からすれば、変わってないとの共通認識がある。

 

 本題にやっと入る。

 平成の長沼四郎左衛門が現れぬものかと願うのである。

 木刀剣道でも竹刀剣道のようなケガが少ない防具を考案してくれる御仁が現れぬものか。 

 防具以外の肘、足の膝、脛にところの当たっても打撲、骨折を防ぐ、なにがしの薄手の防具が考案されたら<やる御仁>は結構に多いのではなかろうか。 また、危険度は無防具の素手格闘技よりも遥かに増すので <やらない御仁>も多かろう。

 <やる御仁>と <やらない御仁>が目に見えて区別できるのも、現代剣道を考えるうえで<参考資料>になるのではないか。

 

追記:いま使っている竹刀は、日本武道具さんでかなり以前、購入したものである。手の内が進歩したのか、いたって丈夫である。

なに己の自慢でない、日本武道具さんの竹刀が良質であるとの宣伝である。

  

 

  平成十七年 文月之十六日