オンライン読本<サムライ草莽双書>

 

弊社で販売している『大射道』(安沢平次郎・著)は販売開始して、もう7年になるがとぎれることなく注文がある。「他に弓道の本を知りませんか。弓道の本が少なくて」との添え書きがある注文メールが目につく。

 

 一昨年、村川平治さんの『克つための弓道』(ベースボール・マガジン社)が新装版となって重版された。先日、小輩がこの本の担当者であったと知る方が、新しい弓道の指導、技術本を企画してほしいと添え書きがあった。

 

 弓道の本は他の剣道、柔道、空手などの中でいたって少ない。初級読本が多く一門一派を構えた達人の本が少ないのだ。弓道界には一門一派が生まれにくい土壌がある。これは是非の問題ではない。実戦の武器として遠ざかった歴史に因がある。

 

現代の競技時代の因としての理由もおかわりだろう。

 弓術には攻守の「守」がない。秒速100メートルの矢に身をかわす術はない。楯、鎧しかない。弓道指導本は「攻」のみである。

また、攻撃箇所が面、小手、胴の剣道。投技67本、腰技11本、足技21本などの柔道とも違う。それ以上に寸止めとフルコンと流儀が異なる空手もしかり。

 

弓道の「攻」の敵は28メートル先の動かぬ霞的である。

 「攻」に多技は不要だ。弓道の「攻」は「射法八節」のみである。初段から十段安沢平次郎まで、みなこの八つ形の射法八節で矢を放つ。

 

この「射法八節」を解説した初級本があれば他は必要ない。三、四段から上を目指す者は自分流の「射法八節」を編み出していくしかない。それは高所から見れば邪道を生む恐れがある。おわかりであろう。弓道本が少ないわけが。十段で弓聖・阿波研三の一番弟子の安沢平次郎は別格であるゆえ本を出しても誰も文句は云わぬ。

 

 「三、四段の者が上を目指す指導書がない」。村川平治さんを口説き落としたのがこれだった。村川さんは百も承知であった。だが上記の弓道界のプレッシャーがあって一度は断られたのだ。基本技術を習得した後、必要な弓道本は全日本常連クラスの試行錯誤の体験論でしかない。それがないのはおかしい。弓道初段の編集士はそう断じ、村川さんを再度、口説いたのだ。

 

原稿応募を電子出版する、オンライン読本<サムライ草莽双書>を告知しようとしたきっかけは、先述の『大射道』注文メールであった。小輩は弓道本を企画する術はもうない。

『克つための弓道』初版から10年経った。「光陰矢のごとし」。草莽が己の修練を公開するときではないだろうか。そこから現代の武道復興の潮流が生まれる。そう確信するのだ。

 

弓道以外の武道も同様であろう。道場主でない、一門一派を構えたの者でない者の試行錯誤の日々を綴った<日記>こそ、ジャンルを問わず武道初心者が読みたいものではなかろうか。それがネットという新武器を誰でも手にしている世の武道家、サムライと対処の一つである。当然、邪道もスキをついてまかり通るやも知れぬが、それが淘汰できぬ日本の武道なら滅びてもよろしい。

 

 平成十九年 葉月之五日