第三十二話

平成二十九年 五月六日

 

日本の弓はなぜ長い?

 

日本武道具さんに弓箭{ゆみや}は置いてない。弓箭は武道具の看板ではない和弓屋さんにしか置いてない。

その昔、九段から飯田橋に向う途中にあった和弓屋さんへよく足を運んだ。

弓箭を見ているふりをして、持ち込まれた弓の修理をしているご主人の手許を見ているのが心地よかった。いまも店がその場に在るかどうかは知らぬ。

 

古代日本で弓が出現したのはいつか。石器時代にはあったはず。石器でない木の枝を折ってつくった木製が残っているわけはない。

鎌倉、室町時代の弓が僅かに残っている。神社に奉納されていたからだろう。

平安中期から末にかけての日本刀の出現と、いまある和弓が出現したのはほぼ同期とされる。因縁がありそうだ。

 

日本刀の時代区分け。古刀、新刀、新々刀、現代刀。この時代区分けで<学校で教えない>日本史を語る御仁は現れないものか。

古刀の素材の鉄、そのつくり方はいまだ謎とされる。古刀と新刀の境とは何だ。ここに武士の実像が秘められているのではないか。

 

さて本題。和弓の上下比率が5:3であるとか、構造とか、弓を作るのを刀と同じ「弓を打つ」などのウンチクは読者諸氏は承知の助であろうから省く。

和弓が石器時代から世界一長い大弓であったわけはあまり知られていない。

 

古の日本列島は葦でおおわれていた。高さ2メートルほどの葦原である。大麻草にもおおわれていた。高さは2、3メートル。人の背より高い。葦原で大麻草の群生地で獲物を追うとき同士打ちを避けるために長い大弓が必要だった。

 

日清戦争前夜、心に武士に呼び興そうと廃れた武士の武術が復活した。が、弓は武術にあらずで外された。『兵法要務  柔術剣棒図解秘訣』の題字を書いた勝 海舟、弓道は武術にあらず、体操だと云ってのけた。

 

 いまの世、弓道で精進する御仁よ、古の日本列島の葦原で弦を引き絞る気分で射ってみなされ。劍道よりプライドがもてますぞ。