第十三話  夏休みの自由テーマ「刃引き」

 

 

 

 夏休みの終りが近づくと、雨の日が必ずあった。

 夏の疲れをとる日だと、家人が云った。

 午前中から畳の上に大の字になり“昼寝”

 まだ片付いてない夏休みの宿題が頭の隅にへばりついている。

 

         ―― * ――

 いまでいうところ自由テーマという夏休みの宿題があった。

 「刃引き」と決めた。

 刀油を浸した紙ヤスリのかなり細かいものをかまぼこの板に巻く。

 家人に刀を持っていてもらい、それを刃に軽く当て、切先からはばき下にかけてそっと引く。絶対に前後に引かない。一方通行である。

二度ほど引くと、今度は四つ折にした半紙を刃先に押し当て、引いてみて刃の斬れ味をみる。四つ折の半分が斬れる。また、紙ヤスリを切先からはばき下にかけて軽く引く。

 

「刃引き」とはヤスリを「引いて」ギンギンに研がれた刃を円くし、斬れないようするのだ。

 

―― * ――

 台風が近づいたせいだろう。雨の日となった。

 久しぶりにクーラーを閉じ、昼寝していたら少年時代の、ありえなかったヘンな夢をみた。

 

 その昔、居合道場を訪ねた。かれこれ30年前か。師範は、後年、「スポーツチャンバラ」を発案した御仁。初心者にも刃引き無しの真剣を使わせていた。

 十代の若者が恐る恐る納刀していた。それでよいと師範は云う。刀は斬れるから恐い。それをまず教える。

 

 スポーツチャンバラ発案の因はグー(面)、チョキ(小手)、パー(胴)だけの決め事でない身体操作を子供のころから教えておかなくてはとの剣道の達人でもあった御仁の危機感であった。剣道のグー(面)、チョキ(小手)、パー(胴)はそれからでよいと。

拙者ら世代の男児はスポーツチャンバラに明け暮れていた。

 

―― * ――

 ズボンの下にシャツをねじ込んでいたら、女子の孫に入れたらダサイを云われた。遊び着の折は、シャツはズボンの外に出すのだと云われた。

 爺はそれでは刀が差せない。むかしアメリカ人がその姿で欧州を旅行したら「野蛮人」と陰で舌打ちされたとか、わけのわからぬ言を云った。

 

 アメリカ人がシャツを出しても銃は捨てなかった。“帯刀”しなくても家にある。

 アメリカがイギリスの植民地から独立した年、日本の武士以外の者でも小百姓、長屋の熊さん八さん以外は帯刀しなくても刀は家にあった。

 秀吉の刀狩りは帯刀禁止。明治の佩刀令も帯刀禁止。GHQの刀狩りは日本刀信仰禁止令。

 

 アメリカ人の誰もが銃を家に置いておくことができると同じに、日本人が日本刀を家に置いておける法整備はできないものか。

 それこそ安全保障、集団的自衛権のカナメ。「人は石垣、人は城」。 アメリカの強さはこれ。